☆ フェラーリF430をスタートからブッチぎりの 『 ロケット・アシスト付き自転車 』!!

Swiss RocketManで知られるフランソワ・ゲッシーさんがロケット自転車で世界最速の時速333キロを達成したそうです。その時のビデオが公開されましたので紹介します。久々のバカ動画!音がもうーね!コレは笑える!!


☆  ビューエルベースのストリートファイター・カスタム 『 47 Ronin 』 がカッコいい!!


米国コロラド州デンバーに本拠を置く RONIN Motorworks は、赤穂浪士にちなんだバイク「47 Ronin(四十七士)」を販売している。バイクには、「#1 OISHI YOSHIO」「#2 HAZAMA MITSUKAZE」といった四十七士の名前が付けられており、47台限定の販売となっている。


RONIN Motorworks は、ハーレーダビッドソンの100%子会社だったバイクブランド「Buellビューエル)」が2009年に閉鎖された際、1125 スポーツバイクシリーズを買収。これをもとに、カスタムバイク「47 Ronin(四十七士)」を製作した。1125 シリーズの優れたエンジンやフレームはそのままに、ユニークなデザインのバイクに仕上げている。


「47 Ronin(四十七士)」のリアデザインは、「ビューエル」のものを幾分引き継いでいる。だが、そのフロントフェイスはまったくの別物。巨大なラジエーターが前面に押し出されているのだ。RONIN Motorworks の Web サイトによれば、ハイパフォーマンスな Rotax エンジンを効率的に冷却するために、風を最大限に受けられるこのデザインに行きついたという。その巨大ラジエーターの脇に上下に並ぶ2つのヘッドライトもユニークで、ひと目で「47 Ronin(四十七士)」とわかるフロントフェイスを形成している。

ところで RONIN Motorworks はなぜバイクの名称を「47 Ronin(四十七士)」にしたのだろうか? RONIN Motorworks の Web サイトによれば、四十七士とは赤穂家が取り潰しになり、主君を失った侍たち。その侍たちの状況が、ビューエルが取り潰し(?)になり、主君であったエリック を失ったビューエルのバイクに似ていると考え、この名前に決めたという。


「47 Ronin(四十七士)」の生産台数は47台のみ。4回に分けて販売される。初回に販売されたのは、「#47 OISHI YOSHIKANE(大石主税良金:大石内蔵助の長男)」を初めとする12台。各3万8,000ドルで販売された。

http://ennori.jp/

☆ 対人保護用エアバッグ標準装備!スバル 『 新型 インプレッサ 』 ボルボ、ランドローバーに続き採用!!

今秋にも発売される新型スバル・インプレッサ


走りや見た目のクオリティアップを果たしているだけでなく、「アイサイト3」に加えて、歩行者用エアバッグも全車標準装備するなど、さらに安全性が引き上げられています。


ボルボV40、ディスカバリー・スポーツなどのランドローバーに続いて採用される歩行者用エアバッグボルボがV40に世界初で搭載した時、スバルでは鋭意開発中だったそうです。

新型インプレッサの歩行者エアバッグは、20〜30/1000秒で衝撃を検知し、その後30〜40/1000秒でエアバッグが開くというもの。

新型インプレッサ用の歩行者用エアバッグは、歩行者との衝突により写真のセンサーチューブ(ボッシュ製)が押されると両サイドで圧力を受けて作動します。

センサーチューブ内の温度にも左右されるため、温度センサーが追加されており、温度補正することで正しく作動します。なお、エアバッグの袋はタカタ製、ガス発生剤(インフレーター)はオートリブ製を採用。

歩行者エアバッグが検知して、作動する範囲はフロントセクションのほぼ全幅をカバー。写真では少し分かりにくいかもしれませんが、センサーチューブは両サイドまで配置されています。作動範囲は、Aピラーは頂点の少し下、地面から2m20cmくらいまでカバーしているそうですから長身の人でも対応。なお、子どもなど身長が低い場合は、ボンネットフードが柔らかく設計されて頭部保護によりカバーするとしています。


新型インプレッサに搭載される歩行者用エアバッグは、ボルボなどと違いがあるのでしょうか。

ボルボのそれは両側にヒンジがあり、火薬でロックを解除し、エアバッグで持ち上げて隙間を作って開かせるという高価なシステムになっていますが、新型インプレッサでは、フロントスクリーンとワイパー、フードの狭い隙間からエアバッグを出して、フードの上にもエアバッグを出すというのが特徴であり、最も苦労した点だそうです。

低コストで作ることが可能になったという新型インプレッサの歩行者用エアバッグですが、そうはいってもコスト面からユーザーの理解が得られるかも気になります。その点については、正面から歩行者とぶつかった際に、Aピラーに頭をぶつけるとほぼ100%厳しい状況、つまり死亡事故に直結するそうで、ほかにこうした顕著な事例はないことから採用に至ったそうです。
http://clicccar.com/

☆ いつ何時にも、あなたの相棒でいてくれるかも知れない 「 MOTOPED 」 非常用常備機にも是非!!

「MOTOPED」は、ダートバイクとマウンテンバイクのフュージョン。中古の Honda XR50/CRF50 のエンジンとマウンテンバイクの部品を使い、自分だけのマシンを製作できる組み立てキットだ。1ガロン(約3.78リットル)のガソリンで、約150マイル(約241キロ)走行できる。ガソリンがきれた場合は、自分の足でペダルを漕いで進むことも可能だ。


黙示録はいつ現実のものになるかわかりませんから、とにかく準備だけはしておくべきです。
Motopedからリリースされる「ブラックオプス・サバイバルバイク」は、そのスタートにピッタリな1台。
戦術的に生き残るために重要な低燃費バイクとなっています。

最大燃料で400マイル走行可能、出来る限りの軽量化がされていますが、頑健性は担保されています。


価格は3200ドル。
黙示録的世界では仲間を探さなければいけないので、こういう移動手段は必要ですね。



http://blog.nakatanigo.net/

☆ 人間が耐衝撃性を進化させ,交通事故にあっても生存できるようになったら…『Graham』

 オーストラリアの交通事故委員会(TAC)が、交通事故に遭っても生き残れるように進化した仮想の人間「Graham」を、啓発活動の一環として作成しました。まるでSF映画に出てきそうな見た目です……。

研究によれば人間は、自動車などを使わずに自らが到達できるスピードでの衝撃にしか耐えることができないのだそうです。

http://www.meetgraham.com.au/

 Grahamは体が事故の衝撃に耐えられるようになっており、例えば頭蓋骨は巨大に進化し最も弱い部分である脳を守っています。平たい顔になっているのは事故の時に多い鼻が折れるケースに備えての進化。耳も頭蓋骨や首に守られる構造になりました。さらなる衝撃吸収のため、頬骨のまわりに脂肪が多くなっています。



 足についても人間の膝は一方向にしか曲がらないことから事故の時に骨折などに至るケースがあり、Grahamは全方向に曲がる膝を身につけています。

 交通事故委員会CEOジョー・カラフィオールさんは「Grahamは、なぜより安全な道路システムを作る必要があるのかを思い出させるものとなるような教育用ツールである」と語っており、交通安全の重要性が伝わってきます。Grahamはビクトリア州立図書館に展示される予定です。

http://nlab.itmedia.co.jp/

うーん、ヘルメットとハンスととエアバッグを一体成型した感じか?F−1のコクピットを拡大しなきゃいけないな!!

☆ 「販売台数を維持するために、売れる車を優先してきた。 そうすると、どうしてもスポーツカーが消えていく。 その結果、若い人の車離れにつながったと反省している」


 日本でスポーツカーを"文化"にできるのか――。


 トヨタ自動車は「86(ハチロク)」をマイナーチェンジし、8月1日に発売する。86は富士重工業(スバル)と共同開発し、2012年から販売している小型スポーツカー。トヨタは86、スバルは「BRZ」のブランド名で展開してきた。5年目を迎えた今回が初めてのマイナーチェンジとなる。

トヨタは過酷なことで知られるニュルブルクリンク24時間耐久レースなどに86で積極参戦してきた。「そうしたレースから得られた技術によって86の走りを深化させた」と86の多田哲哉チーフエンジニア(CE)は胸を張る。

 国内で年間約1万台を販売


 発売から丸4年、86は国内で累計約5万2000台販売されている。初年度は2万台超、昨年も6000台を販売し、このたぐいのスポーツカーとしては上出来だ。海外でも、米国を中心にオーストラリアと欧州で約11万台販売。BRZとの合計では全世界で20万台を越え、「アフターパーツ市場が成り立つと言われる10万台を大きく越えた」と多田CEは胸を張る。

 振り返ると、トヨタは「スポーツ800」(1965〜1969年)、「2000GT」(1967〜1970年)、86のモデルとなった「AE86(カローラレビン/スプリンタートレノ)」(1983〜1987年)など、小型のスポーツカーをラインナップしていた時代があった。しかし、「MR-S」(1999〜2007年)を最後にスポーツカーを手掛けることはなくなった。

 2000年代、トヨタのグローバル生産・販売台数は急速に拡大した。業績も絶好調で、2001年度に1兆円を突破した営業利益は、それからわずか6年後には2兆円に届いた。

 だが自動車好きからのトヨタの評判は決してかんばしくはなかった。「技術の日産、販売のトヨタ」と称されたように、トヨタの強さは車自体というよりも販売力にあると言われた。

 売れる車を優先し、ワクワク感がなくなった

 もちろん、壊れないという信頼性やコストパフォーマンスの評価は高い。だが、ワクワクドキドキするような車ではない。これは多くのトヨタ関係者も認めていることだ。

 トヨタ車は、車に特別なこだわりを持たない多くのユーザーのニーズを十分に満たしていた。だからこそ世界最大の自動車メーカーにのしあがった。しかし、日本に限らず、先進国で進む若者の車離れに危機感を強めると同時に、自社の車づくりの姿勢がこの現象を助長していると反省するようになった。

 「販売台数を維持するために、売れる車を優先してきた。そうすると、どうしてもスポーツカーが消えていく。その結果、若い人の車離れにつながったと反省している」と嵯峨宏英専務は率直に語る。

 こうした反省から2007年、トヨタは再びスポーツカーの開発を決めた。だが、プロジェクトを任された多田CEは、当初どういうスタンスで臨むべきかわからなかったという。そこで、当時、マツダで「ロードスター」の開発責任者を務めていた貴島孝雄氏に教えを請うため広島を訪れた。

 スポーツカーは台数が出ないため、採算を取るのが難しい。多田CEは「ブランドの広告塔だから多少の赤字でも許されるのでは・・・」と考えていたが、貴島氏に会って冷や水を浴びせられた。

 「量販車メーカーで、スポーツカーを作ることの大変さをわかっていない。一番やってはいけないのは景気の波で(スポーツカーの生産を)やめたり、始めたりすること。景気の悪化でやめてしまいファンを裏切るなら、最初からやらないほうがいい」と貴島氏は語ったという。

 富士重工業との共同開発を経て、2012年に発売した86。だが、飛びついたのは、振り向かせたかった若者ではなく、かつての若者だった。

 マイナーチェンジで価格帯は上昇

 「残念だが予想通り、顧客の中心は40〜50代だった」(多田CE)。それでも、限られていた予算をテレビCMには回さず、地道なファン作りの活動を続けていった結果、直近の購買者は20代から60代までほぼ均等になってきた。20代が一番多い月もあるという。

 「他の車種に比べて少ないものの、きちんと利益も生み出している。それがスポーツカーを続けていくために重要なこと」(多田CE)。

 では後期型の発売で、さらに若い層を取り込めるだろうか。価格面を見ると、前期型にあった199万円の「RC」というグレード(レース車にカスタマイズすることを前提にしたベース車)はなくなった。後期型の価格帯は262万円から325万円と、RCを除く前期型(241万円から305万円)からアップする。

 「中身のアップグレードを考えれば、価格は上がっていない」(多田CE)と主張するが、20代や30代で簡単に買える価格ではない。それでも、後期型の投入によって、中古車市場に前期型が増えていくことは間違いない。手頃な中古車でスポーツカーの楽しみを知ってもらい、その裾野を広げていく。マイナーチェンジにはそうした狙いもある。

 車のコモデティ化に危機感

 自動運転やカーシェアリングが普及すると、車はコモディティ化していくと言われている。単なる移動手段としての車しか作れなければ、自動車メーカーが得られる付加価値は激減しかねない。車好きの心を動かす車を生み出していく必要がある。

 グループで年間約1000万台を販売するトヨタにとって、台数のことだけを考えれば、わずかな割合でしかない86やG’sに力を入れるのはこうした理由がある。

 「スポーツカーは、カルチャーです」

 これは、2012年、86が初お目見えした時のキャッチコピーだ。まだ「スポーツカーが文化になった」とは言い切れない状況ではあるが、4年前に比べると着実に前進していることは間違いない。
http://toyokeizai.net/
現在、スポーツカーを文化と言い切れない理由は、スポーツカー文化とはモータースポーツ文化を根底から支えている一部であり、日本のモータースポーツ文化もまた、成熟はしきれていない。連綿と続いてゆくモータースポーツ文化の土壌を育てる努力を怠っていたのではないか?製品を作って、売れば自然に文化が発生する訳ではない、育ててゆかなければスポーツカー文化、またモータースポーツ文化としての成長は無いと思う。「最近の若者は車に乗らなくなった」と言われるが、しかし興味を持てなくなった訳ではないと思えて仕方がない。以前、休日の丸の内で出会った男児が彼方に停まっていた原色のスーパーカー達を見つけて、意外にも『わぁー、スポーツカーがいっぱい!!』と叫んだ言葉に驚いた『なんだ!自分の幼い頃と同じじゃないか!!』と思ったと同時に『どうせ車なんか興味ないだろう…』と見ていた自分が恥ずかしくなった事を思い出した…。