DUCATI 125 GRANDPRIX

1956年はチャンピオンを維持し続けるMVアグスタの他に、モンディアルやジレラ、それにMZなどといった名だたるメーカーがしのぎを削る厳しい年でもあった。まだ若いドゥカティにはレースに掛ける予算に限りがあり、そこでタリオーニはビアルベロ(DOHC)ヘッドを作り、それをマリアンナのエンジンに載せる方法を選んだ。レースでの勝利を近いヘッドにはグランプリの文字が刻まれたのだが、57年の開幕戦を前にライバル達は想像以上に速くなっていることが分かったのだ。グランプリでの勝利はより高度な加工技術を要するデスモに任せるとして、ビアルベロはイタリア国内外のフォーミュラ2選手権などで活躍することができた。この125グランプリ(ビアルベロ)は最初の年、マリアンヌのフレームをベースにアンダーパイプを取り付けたものが使われたが、翌1958年には新しく設計されたダブルクレードルタイプとなった。フレームと同時にクランクケース形状も変更され、各部が強化されたのである。2年間のみ生産された125グランプリは、合計で約50台が世界中の優秀なライダー達の手に渡り、各国のサーキットで数々の勝利を掴んでいった。