NAVI 5


NAVi-5は、機構的にはトルクコンバータとプラネタリーギアを用いた一般的なATとは全く異なり、マニュアルトランスミッション(MT)と基本的に同じクラッチと変速機を、コンピューターが機械的に制御して自動変速しているのが最大の特徴である。クラッチの断続と変速操作は油圧アクチュエーターが行い、アクセルペダルの踏み込み量、スロットル開度、エンジン回転数、走行速度などからコンピューターが最適なギアを選択する。というのが自動変速機としての基本的なシステムである。なお、スロットル制御はドライブ・バイ・ワイヤとなっている。また、これらのエンジン、スロットル、ギア、ブレーキなどの統合制御を用いていたことから、それを利用してクルーズコントロール機構を比較的容易に設定する事ができ、NAVi-5搭載車には当時、一般的には高級車にしか装備されていなかったクルーズコントロールが標準で搭載されていた。
シフトレバーは、一般的なATの直線的なゲートとは異なり、手動変速での運転を楽しめるようにMTに似たH型のシフトパターンを持つ。ポジションは左上(前)が「1」左下(後)が「2」右上が「D3」右下が「D5」のHパターンの更に右下に「R」というもの。「1」と「2」はそのギアの固定、「D3」は1〜3速「D5」は1〜5速までの自動変速である。なお「R」は後退である。その後、2代目ジェミニの最終型では、「D4」ポジション(1〜4速の自動変速)が追加され「D5」は「R」の上に移り、結果として一般的な5速MTと同じシフトパターンとなった。また、「マニュアルモード」が設定され、各ギアを任意で選ぶ「クラッチレスMT」として走行できるようになった。ただし、コンピューターが危険であると判断した場合はシフトレバーを操作しても実際には変速されない。
なお、インターネットサイト等では「登場後2年あまりで消えた」などと記述される事が多いが、初代アスカの最終型(1989年)にも搭載グレードが設定されており、乗用車では、少なくとも5年以上は改良されつつ販売されていた。
使用する油脂は一般的なオートマチックトランスミッションフルード(ATF)ではなく、BESCO NAVi5と呼ばれる専用油脂が用いられた。この油脂は元々は油温による特性変化の少ない航空機作動油であり、変速速度が油温で変化しないようにする為の策であった。よって、ATF販売メーカーによってはNAVi5フルードが航空機作動油であることを明記した上で絶対にATFの注入は行わないよう注意している例が見られる。

NAVi-5の開発は、「カメラやオーディオなど生活の隅々にまで進出しているコンピューターを、クルマの走りや味わいに生かす事はできないだろうか」という一人のエンジニアの素朴な夢から始まったといわれる。休み時間の雑談で若いエンジニアたちの共感を呼び、プロジェクトはスタートした。ただし、この時点では具体的に何を研究、開発するかは決まっていなかったというが、討議を重ねるうちに「マニュアルトランスミッションの超能力感性ロボット運転」にテーマが収束した。具体的なイメージとしては、人間の感覚、感性を理解したロボットが人間に代わってギアシフト、クラッチ、アクセル操作を行うというものである。
いすゞの藤沢工場にある研究部門で研究がスタートし、廃車寸前の1台のジェミニを譲り受け実験台に用いた。この段階では、クラッチ、ギアシフトを圧搾空気で作動させるべくエアボンベやエアシリンダーを用いた操作系に改造され、メンバーの一人は、3段の折り詰め弁当のごとく巨大なコンピューターユニットを製作し、一方、プログラムの元となる操作ロジックの検討を重ねるメンバーもいた。こうして、開始から6ヶ月程過ぎた頃、実験車は一応完成し、曲がりなりにも走行する事に成功した。
この時点までは、このプロジェクトは会社の正式な業務ではなく、あくまでも「有志による私的な研究」(クラブ活動的な)であり、研究は休み時間や終業後、休日などに行われていたが、走行に成功した頃、休日に工場の敷地内で走行実験をしていた際、たまたま通りかかった社長の目にとまり、半年後にもう一度社長自ら試乗したいとの話となった。これを開発メンバーが上司に伝えたところ、社内でも注目を集め、正式な業務としてのプロジェクトに昇格した。

ヽ(^。^)ノちょっと乗ってみたい!!

まぁ、時代が時代なんで今のデュアル・クラッチセミ・オートマとは別モノですけど!!

やろうとした事は同じである。